Scum story 01

Brea Skatepark Orange County

 

8inchi 以下のDECKでママの財布に興味はない。
SKATEBOARD業界へ向けての風刺メッセージであり、私の感じるSCUM SKATESとは?
を短く表現している広告がJUICE MAGAZINEに掲載されていたのを覚えている。         確か、あれは Chris Cudlipp * の写真だったと思う。

 

私は1999年から2006年まで南カリフォルニア オレンジ郡 に住み SKATEBOARDとそれに付随する文化を24-7休むことなく真剣に向き合ってきた。そうして日本にいる今は日本の SKATEBOARDとそれに付随する文化,より良いSKATE環境を探求し続けている。

 

98年に渡米した時のDECKはCONSOLIDATED の TEAM MODEL 8.25を乗っていた。
オレンジ郡には34の町があり全てではないがほとんどの町に自治体が提供したCONCRETEで出来た滑走料金が必要ないSKATE PARKが存在する。

 

それを知った途端、狂ったように全て巡った。2ヶ月も経たないうちにコンプリートし、だんだんと気に入ったSKATE PARKが絞れてきた。中でも海沿いの町ではなく内陸の
BREA(ブレア)という町のPARKが気に入って通い始めた。当時は良くBLIND /HABITAT    TEAMの    Ronnie Creager / james Craig / Danny Garcia 等が滑っていた。                    このPARKにはリズムの速いMINI RAMP と SPAIN付きのMINI RAMP, STREET SECTION ,         3’ to 5’ のKIDNEY BOWLもありバランス良くMIXされた総合のSKATE PARKだった。             SKATE人生初のKIDNEYへのDROP INはここだった。当時、日本のSKATE環境ではお目にかかれなかったKIDNEY BOWLの滑り方が全く分からなかったがまずは何よりもSKATE発祥の地の先進した環境に心の底から感動していた。

BREA SKATEPARKの様子

このBREAにハマり始めた頃COSTA MESA(コスタメサ)からANAHEIM(アナハイム)という町に越すことになりBREAまでは車で30分で行ける環境も出来てほぼ他のPARKにはいかなくなっていた。2000年頃の事だったと思う。
それ以来、ベッタリ。通い始めればLOCAL SCENEが見えてくる。
毎日長時間いるASIAN SKATEBOARDERが来るようになった。
なんなんだ、あいつは?!ってなってきた。自分の中では長時間という感覚はなかった。
He’s still there! (あいつまだいるよ)
Him again! (またあいつ〜!)
学校行ってねーな、ってことになってきて学校に行ってない奴が話しかけてきてくれた。
BANDのPATCH、BEERのシミみたいのがいっぱい付いた汚ねーボロのデニムベスト着た奴が紙袋に包まれたBEER 片手になんか俺に言ってるぞ。中に着ているTEEシャツがめちゃめちゃ格好良かった。WOLF PACKが潜んでいた。SKATEが熱くなってきて全貌が見えた。
SCUMって書いてある。惚れた。SCUMって何っ?!
なんだ、なんだ こ汚い格好をした奴ら HESH *って呼ばれるスタイルの奴ら だいたい SCUMって書いてあるTEEシャツ着てる。もしくはでっけえDECK乗ってる。んっ?このフォント ROB ROSCOPじゃね? SANTACRUZなの?知らないぞ、こんなカッコいいスケボー文化
日本で見たことない。俺、原宿でSKATE SHOPの販売員2年やってたよ。池袋でも3年やってたよ、スケボーは91年からは休まずやっています、インタースタイル欠席したことないです。最前線にいましたけど?!って深〜いカルチャーショックを受けました。日本に流通していない LOCAL SKATE SCENE の存在があることに!深々と感動しました。そっかあ、これがブランドか、これがローカルイズムかぁ!
つづく
Chris Cudlipp
Kihei,Maui
Street Parks Pools He skate everything
Skate Junkies
HESH
Heshian スタイルの表記
語源はドイツ軍を示す から派生している
小汚くて、清潔なイメージが乏しくて汗や油や酒臭くて男臭い.いきすぎて獣臭い奴もいる。
その辺のことを 全く気にしていない。
乗り物に乗っていることの方が幸せな感じの奴ら

Writer Omoch